豊かに楽しむ365日

お気に入りの「モノ」・「コト」に囲まれて暮らす

編みもの遍歴の話のつもりが、いろんな記憶をたどる話

私が初めて編み物を覚えたのは小学1年生あたり。

お針子さんをしていた祖母が教えてくれました。

 

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一番最初は、かぎ針編み。

いつもは祖母が編みものをするところを見ているだけで、触れてはいけなかった綺麗な箱に入れられた編みもの道具たち。

それに触る許可を貰ったドキドキとワクワク、それから祖母が作る可愛い帽子やセーターを自分で作れるんだという期待でいっぱいでした。

祖母から薄いピンク色の毛糸と金色のかぎ針を渡されて、それがとても可愛くて綺麗でずっと触れていたいと思ったのを今でも覚えています。

記憶って不思議ですよね。

一昨日のランチも思い出せないのに何十年も前の出来事を鮮明に覚えていたりして。

 

 

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私が娘を妊娠したときに、ふと思い出した絵があるんです。

王様が着る、えんじ色のガウンの裾のほう。フカフカの毛で縁取られています。

それまで何十年も記憶の底のほうに沈んでいて出てくることもなかったろうに、妊娠のせいでホルモンバランスやら体の変化が起きて出てきたんだと推測。

だって脳の構造なんてよく分からないし。

でも、その記憶はほんの欠片で全体は思い出せない。

それからというもの、それは突然頭に浮かぶようになりました。

今でこそ、えんじ色のガウンの裾の絵はパッと浮かぶけれど、当時は1度消えてしまったら不思議なことに自分では思い出せなかったんです。

どんなに浮かんでも全貌は分からないし、何の絵だったのかも思い出せない。

でも、その絵が浮かぶたびに、知りたい私はシナプス頑張れ!と一緒に手繰るんです。

まだ消えないで、その先が見たい!と。

そんなことを繰り返すうちに、それがたぶん絵本の挿絵だったこと、王様のえんじ色のガウンがビロード生地だったこと。

それから立派な王冠、これは額あたりにフカフカが付いてるようなやつ。

思い出せたのは約8年掛かってここまで。

でも、そのガウンの色とか質感、その絵を見て綺麗だなと思った感情とか色んなものが絡み合って思い出されていくんです。

それに、すごく悲しいというか、嫌な気持では無いけれど複雑な感情に襲われるんです。それの意味もよく分からない。

そのガウンを着た王様(多分)の隣に誰かいたような気もするけど、私の記憶はまだそこまで辿り着きません。

死ぬまでに思い出したいような、でも思い出しちゃったら死んじゃうんじゃないかとかアホなことを考えたりします。

私、根暗でめちゃくちゃネガティブなんで(笑)

 

私の両親は病気で他界していますが、母のほうが父よりもずっと早くに亡くなりました。私がまだ中学生の頃です。

それから十数年後、父が病気になりました。

そして闘病生活中に叔母があるものを見つけました。

叔母は昔、カメラ関連のレンタル会社に勤めていてビデオカメラの使い方を練習するために何度か自宅に持ち帰ったことがあり、その時に撮影した古いテープを何本か見つけたんです。

そして、それを観られるようにDVDにダビングしたものでした。

 

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古いものだったけれど映像は残っていて、父は生前それを何度も観ていたと叔母が話していました。

私がそのDVDを見れたのは父の死後でした。

DVD鑑賞会の日は叔母と祖父、私夫婦、それから私の妹夫婦で観ました。

TVに映し出された映像は、昔祖母たちが住んでいた家、父の実家です。

とても懐かしいその映像には、まだ若い祖父と生前の祖母が映っていました。

映像の中に紺色のピース缶を見つけて、そういえば昔おじいちゃんはヘビースモーカーだったなぁとか、祖父の本棚にあった野草の本が私はとても気に入っていたのに、あれはどこへ行っちゃったんだろうとか、色んなことが頭を駆け巡って、そして亡くなってしまった父のことを想いました。

死ぬ前に、ばーちゃんに会えてよかったね、とみんなで話していると映像が途切れて砂嵐に。

けれどその時は余韻に浸っていたかったのか、特に理由なんて無かったのか、何かの思し召しか、続きがあるかもしれない期待からなのか、誰も砂嵐を止めませんでした。

それが数十秒だったのか数分だったのか分からないけど、また映像が始まりました。

 

今度はそこに母が現れました。

動いている母を見るのは実に17年ぶり。

元気な頃の母の姿でした。

叔母の推測では、これを撮影したのはいつかの年末で帰省していた時なんじゃないかと。

私の記憶に残っている生前の母は元気が無くて、薄ぼんやりしていました。

声も忘れてしまったし、私の頭の中に動いている母は居ませんでした。

だって17年間母のことは、遺影とその他に数枚の飾られた写真しか見ていなかったので、その写真が私の中の母像になっていたからです。

だから動いている母を見たときは、頭の中がパニックでした。

驚くとかそういうのとは違う感じです。

今でもあの感情は言葉では言い表せないですね。

残念ながら音声は無かったのですが、母は笑いながらカメラに向かって何かを話していました。

そして、カメラがターンしたとき、今度は小学1,2年生くらいの私がいました。

映像の中の私は、真っ赤な毛糸で棒針編みをしていて、そして編み物をしながら談笑していました。

なんと、会話しながら編む技法を私は30年以上前に習得しておりました(笑)

棒針編みを教わった記憶は曖昧で、覚えているのは編み方だけだったので、この時は子供時代の自分に感心したわけです。

けれど映像を見ても、その日のことは思い出せません。

映像と記憶は繋がらず。

もしも繋がってくれたら母の声も思い出せるんじゃないかなと抱いた淡い期待は残念ながら叶わず。

 

そして、父が死んでしまう前に砂嵐の先の母に会えたのか、それが今も気になっています。

会えてますように、と願うばかりです。

 

 

 おわり